妻の出張・子の脱臼 その1

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ロンドンにやって来てもうすぐ1年が経とうとし、妻の仕事も軌道に乗り始めたようで、ドイツ、イタリアなど海外出張が多くなってきた。大いに結構な話。

ただ、その間は当然自分はロンドンで子供と2人の生活が続く。

一泊二日の出張ならまあ大した負担にならない。妻が会食や飲み会で遅くなるパターンとそれほど変わらないからだ。

そして自分も気楽でいい。夕食を作るというプレッシャーから解放されるからだ。

自分だけだったら、娘の食事は簡単にスーパーのミートボールを叩いて延ばしてミニハンバークを作ればいいし、自分は冷蔵庫宇野残り物か辛ラーメンを食べて食事をそうそうに済ませ、チーズをツマミにワインかエールをやる、これで十分。

娘も大分状況がわかり始めていて、母親のいない日があっても文句一つ言わずに父との夕食・シャワー・就寝をやってくれるようになった。

しかし、二泊以上になると結構大変である。帰りのフライトが夜になると、更に+1泊分の負担がかかってくるからだ。

子供も2日目以降になると夜泣きをしたり、夜中に目が醒めたときに母親がいないと不機嫌に鳴ったりする。やはりストレスはあるのだろう。

そして今回はいろいろ大変だった。

妻は23日のイタリア出張。帰りの日は帰宅が夜遅くになるので、父娘は33日の留守番生活だった。

1日目を無難にやり過ごし、2日目のことだった。

娘を夕方迎えに行き、アパートの入口まで来たところ、いつものやり取りが始まった。

「パパー、抱っこ!」

階段を登りたくないのだ。うちのアパートにはエレベーターは無い。

勿論、お父さんとしてはここは厳しく「ダメ!」である。

もううちの娘も2歳半を過ぎた。自分で階段を登れるし、登らなきゃいけない分別もついてきている。

「うえーーーん」駄々をこねる娘に再度、

「ダメ!甘えても!階段登ろう、おててつないで。」

娘は最後の抵抗、階段の手前で床にゴロン。ワーワー叫んで。動かない。

そして事は起こった。

両手を掴んでぐいと引っ張って起き上がらせようとしたところ、娘の右手の手首がポキと鳴って、そのあと突然激しく泣き始めた。

「うぎゃーーー」

尋常じゃない鳴き声に焦った自分、とりあえず抱えて家に帰り、湿布を張って様子を観ることにした。

泣き止んだ娘、夕食時も右手はだらんと下におろしたまま。左手でなんとか食べようとするが、ポロポロこぼれて食べられない。

「パパ、食べられないからたべさせて」とせがむ娘。

右手は腫れがあったり、変色が会ったりしているわけではないのだが、ちょっとでも動かそうものならすごく痛がる。

本当に申し訳ない気持で一杯だ。

さすがに明日までによくならなければ朝一で医者に行かなくては。。。

つづく

ママ達の乱(パパも少々含む)その4

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前回からの続き

娘が通うナーサリーの環境が良くないと、WhatAppチャットで盛り上がるママたち。ついに園長と円座になって話し合う機会が設定された。話し合いにてナーサリー側から改善案が出されたが、一方で失礼に感じるまでのSNS禁止令、集団抗議活動の禁止令が出された。まだ話し合いが園長と必要な人は個別ミーティングを設けるということになったのだが。

スタッフの退職

まだまだ、園と父母たちの熱が冷めやらぬうちに、次なる不安要素が現れた。我々のクラスの担当で男性保育士のKodaが病気で長期欠勤、そのまま復帰することなく辞めてしまった。一向に運営が安定する素振りが見えない。保育士リーダーのサマンサの本格復帰はまだ数週間後だと言うのに。一体どうしてしまったのか?

園長との個別面談

その3で展開した例の会合の2週間後に、リーダー格の保育士、サマンサは金曜日の遅いシフトのみの出勤からフルタイムに復帰。

彼女には3人子供がいて、そのうち2人は他のクラスではあるが、この保育園に連れてきて仕事をつづけている。見るからに大変そうではあるし、カオスな教室、親のプレッシャー、メンバーも一人欠いてしまっているという状況ではあるが、子供を預けている親の気持としては、彼女に頑張っていただくしかない。

その中で、園長のサンドラとの個別面談を実施した。これはあくまで任意のもので、前回の会合での論点ではなかった、各親が相談したい個別のイシューについて話をするというセッションであった。

自分は正直この個別面談に興味を失っていた。なぜなら前回で園長のサンドラが頑固で、とにかく考えを簡単に曲げるような人ではないことが分かったし、なおかつジェネラルな改善ポイントについては園側が既に対処をし始めているところであって、進捗を云々するような議論の余地がない。しかも園長、話が長いのだ。前回もずっと自分の仕事のポリシーや子供の教育観、ずっと脱線して喋っている。また同じパターンにハマるのではないかと億劫になっている一方、妻は鼻息荒い。

前回の会合に出ていないし、SNSの使用について集団的行動を禁じる失礼な物言いのメールに憤っている。まずはなんであんな失礼な書き方をするのか、問いただしたいとのこと。加えて、なぜKodaが病欠のまま、退職してしまったのかも確認することにした。

そして面談。

サンドラは案の定であった。

  • SNSへの誹謗中傷の書き込みは法的措置も厭わないとか、集団的反抗をに断固反対するといった失礼な物言いについては誤っていたが、そこ以外はあまり親の細かい心配を利くというよりは、私のやり方を信じなさいという自身満々のアプローチで話が進められた。またその話しぶりからは育児のプロというより、経営者としての園長の本音を聞いた感じであった。
  • 園の維持には優秀な保育士スタッフが不可欠。私が誇りにしているのはスタッフの退職率の低さ、採用にあたっても転職を繰り返すような人は採用しないし、最新の注意を払っている。また、彼、彼女らスタッフは国の最低賃金に近い賃金で仕事をしている。ちょっとした不満や問題があれば、別の仕事をしてもおかしくない。そういったギリギリの生活をしているスタッフのやる気をきちんと尊重し、続けてもらうのが大事。
  • 今回のSNSWhatsApp)の件については、最近入園されたお母さんが、交流目的のWhatsAppがあまりに園への不満や文句を並べ立てるネガティブな場になっていることに非常に不快感をもっていると私の方に連絡をもらった。こういったネガティブな空気は現場の先生にも伝わるもの。だからこういった動きはしないで欲しい。何か問題があるなら個別に相談に来て欲しい。
  • Kodaが退職したのは、こちらも予想もしておらず、びっくりしている。とにかく「疲れた」といって辞めていった。彼はサンドラがいない間、代理のリーダーとして頑張ってきた、これも一連のネガティブな雰囲気によるプレッシャーなのではないか。

面談を通じてわかったのは、園長のサンドラ的に重要なのは

従業員>子供達>>>親

のようである。まあ、ここは私立だし、Waitlistを作るくらいお客が来るわけだから、そうなるのも無理はない。要するに私のやり方に文句がれば他に行けと言うに等しい。顔はニコニコしているが、結構つっけんどんである。

しかしこの割り切り感、日本じゃ考えられないのでびっくりする。日本ではお客様は神様ですから。たとえモンスターペアレントでも。

その後のクラスの変化

サンドラが帰ってきてからは、大分雰囲気が変わってきた。部屋に秩序が戻り、月に1回は父母あてにメールでお便りをくれる様になった。近くのシティファームに遠足に行ったり、その写真を送ってくれたりと、園内での活動が見えるようにもなってきた。さすが当園の古株なだけはある。

拍子抜けのフォローアップミーティング

会合から1ヶ月半後、その第二弾とも言える、父母を一同に会したフォローアップミーティングが予定されていた。その前日、そういえば明日だよね、会社を早めに出て出席する、という妻の発言で思い出した。それまですっかり自分は忘れていた。Kodaの代わりのスタッフも補充され、環境も整備されたところでもうこの件はそれほど確認することもないし、追加の要望もなかったからだ。

この日がセットされたのは1ヶ月以上前なのに、当日になってもリマインドが来ない状況で、ホントにミーティングはあるのか無いのか、妻が質問をメールでしてみると、ちゃんとあるという。この問い合わせに背中を押されたのか、リマインドメールが開催数時間前に父母に送られてきた。

うわー、これ皆いま気づいただろうな、しかも開催時間が午後4時半だから、きっと出席率悪いだろうな。

そんな予感がした。

そして、予想は的中、というか予想以上に人が来なかった。なんと我々夫婦だけ。前回は12人出席だったのに、今回は2人。

リマインドメールをしない園側もいかがなものだが、どれだけ興味を失っているのか。前回息巻いていたママたちは今や見る影もない。

現状に満足できているという裏返しでもあるから良いのだろう。いずれにせよ、完全に鎮火してしまった園側の圧勝である。

最後に

結局、ちょっとした園の不手際やトラブルに対し、感情的になる親はある程度特定できる様になってきた。特に、自分たちの子供がわりとトラブルメーカーの場合及び子育てに対し結構神経質になっている親が騒いでいる感じである。今回はそれに引きづられて他の親たちも園に対する不平不満がつのり、乗っかったという感じであった。従って感情的になりやすい親が鎮火してしまうとこの話はもうなかったかのごとく静かになった。うちは特に子供に問題があるわけでもないので成り行きを静観するポジションを一貫して取っていた。

ただし、最近またWhatsAppのチャットが盛り上がっている。同じクラスのAlexが結構乱暴者で、痛い目に会った子の親がざわざわと騒ぎ始めている。やはり騒ぐのは同じお母さん、AlexにはSpecial Careで一人人員を付けて、行動を監視してくれないと安心できないとかどうとか。まともなお母さんもいて、It could be US. と冷静になるよう諭している人もいる。

子育てについて、わからなくて不安で仕方がないという気持ちから起こる親の狼狽はどこの国も同じだな~と思う今日このごろ。

おわり

写真はfrickrより転載

通算100回記念 突撃!主夫インタビュー

このブログも開始して10ヶ月が経過、投稿も100回を超えた。無職となった自分の名刺代わりにとはじめたこのブログ、非常に有意義な活動になって来た。ブログを通じて現地の日本人ママ友や仕事のおつきあいなど新たな人脈がひろがったり、イギリスの日本語フリーペーパーに掲載してもらうこともできた。

最近では日本の有名私立大学の社会学部の学生から卒論の研修題材に取材を受けたりすることも。

そのインタビューでの質問と私の受け答えを一部をテキスト化してみた。

interview


基本情報


年齢

42

お子様の年齢

娘、2歳半

家族構成

3人

あなたは以下のうちのどれに分類されますか?(専業主夫・兼業主夫・その他
兼業主夫の方は、どのようなお仕事をされていますか?

兼業主夫です。フリーランスで現地日系企業の事業戦略策定・事業開発、現地ウェブサービスの事業アドバイスなんかをしています。

主夫歴を教えてください (◯年目)

9ヶ月

主夫になった経緯を教えてください。

妻の海外転勤。妻は日本のメーカーで勤務しており、昨年4月に育休を終え、時短で職場に復帰しました。間もなく、産休・育休前から関わっていた海外プロジェクトに戻ることになり、海外赴任のチャンスが回ってきました。妻からどうしようかと相談を受けたのですが、自分が行きたくてチャンスが有るなら手を挙げるべき、ここで子供や家庭のせいで行かない意志を示すと、今後一生海外赴任はなくなるぞと、妻を応援しました。その場合は私が会社を辞めて主夫として渡英することになるわけで、妻の会社の上司や私や妻の両親にも本当に大丈夫なの?と心配もされましたが、なんとか周りの皆様の理解を得ることが出来、昨年11月よりロンドンにやって来ました。

毎日の生活について教えてください

平日の家事・育児は私がほぼやっています。娘のナーサリーの送迎、買い物、晩御飯の食事の支度、掃除などがメインです。妻が6時半頃帰宅すると、子供の風呂入れと寝かしつけ、洗濯を分担してもらっています。

娘を朝8時半から夕方6時までナーサリーに預けている間は、基本仕事に当てています。仕事の無いときは運動や読書などをしています。

尚、週に1日ナーサリーがない日があるので、その日は1日中子供と一緒にいます。そういった日は公園に行って遊んだり、昼ごはんを食べさせたり、昼寝の寝かしつけをしたり、一緒にスーパーで買い物したりしています。

家事について


家事はどのように分担をされていますか?

基本的に平日の家事は私が担当しますが、子供の風呂と寝かしつけは妻が担当しています。妻が出張で家をあけたり残業の場合はすべて私がやります。洗濯もあまり好きではないので、私が干すのを手伝うくらいですね。土日祝日は二人共家事をやります。

いつから家事を行うようになりましたか?

今回ロンドンに来日本にいたときも、食事の後の食器洗いやトイレ掃除、掃除機を回すとか、やってはいましたが、どうしても自分が主体で動くというより、妻に言われてやらされている、手伝っているという気持はどこかにあったと思います。

家事は得意ですか?

得意と思ったことは一度もないのですが、やらなくてはならないので自分のタスクとして淡々とやっている感じです。但し、数をこなすにつれ、手際は良くなって生産性は上がっている気がします、晩御飯を30分で作るとか、こまめに床のゴミを掃除するとか。

家事を行うようになってから、戸惑いはありましたか?

ありますね。渡英した直後は環境も整っておらず、知り合いもいないので孤独だったこともありますが、とにかく会社仕事とのギャップが大きくて、嫌になりそうでした。毎日毎日同じことの繰り返し、作業が近視眼的でなおかつ孤独、熟考する機会も必要もなく、自分がどんどんアホになるんじゃないかと。昼間から酒ばっかりのんでいました。

家事を行うことは好きですか?

特に好きではないです。ただやらなければ家庭が回らないのでタスクとしてやっています。むしろ好き嫌いということは余り考えたことは無いです。そのタスクをどれだけ上手くこなせるか、を気にしています。ただ、タスクの中で興味がある・ないはあって、私は料理と掃除は結構興味があるのですが、洗濯があんまり面白いと思ったことがないです。前者は作ったり、整理整頓したりと頭の中がそれなりに活性化して楽しいんですが、後者はそういったツボがみつからないのですよね。。

育児について


いつから育児をおこなうようになりましたか?

家事と同じで、育児にコミットしたのはロンドンに来てからになります。それまでは、昨年の4月までは妻が産休・育休中だったので彼女がメインでやってもらっていましたし、職場復帰後も時短勤務だったので、妻に頼るところが大きかったです。朝の保育園の送りなどは主担当としてやってましたが、その他は私はサポートといった感じでした。

育児を行うことに対して、やりがいを感じますか?

やりがいはありますね。2−3歳の子供は身体もそうですが、急速に知能が発達し、意志がはっきりし、言葉を喋りはじめます。そのような時期に子育てをすることで、娘の成長をくまなく見守れるのは非常に素晴らしい体験です。

自分が主体的に子供に食べさせるものを決めたり、遊ばせる場所、遊ばせるおもちゃなどを考え、実行し、子供からのフィードバックを感じることで親としての実感をフルに感じますし、そこからの学びは自分の経験として大きいと思います。

また、常に側にいることで、娘の考えていること、喋っていること、好きなものとか、妻よりも自分のほうがわかっていたりすることがちょっと優越感に浸れますね。

育児を行う上での不安はありますか?

とくにありません。初めての子育てですし、わからないことばかりです。それを不安とおもっていてもキリがありません。

ご自身は育児に向いていると思いますか?

どうでしょうかね。私くらいのレベルの育児ならだれでもできるのではと思います。比較対象もないので向いているかどうかは自分ではわかりません。まだまだ自分もスキルが足りないと思います、子供に学ばさせてもらっているようなものです。

あなたの理想の父親像は?

とくに目指すべきロールモデルは無いです。世の中に好奇心・興味を持つこと、どんな状況も打開できる、しなやかさを持って生きること、多様な価値観を受け入れて視野を広げることを子供に教えられればと思います。そのために今自分がこうしていることが将来子供にとって良い影響を与えられたら良いかなと思います。

主夫になって感じたこと


主夫になって一番良かったことは何ですか?

一番良かったことは、自分の視野が広がったこと。ちいさなことかもしれないが、毎日の献立を考えることがこれほど苦痛とは知らなかったし、仕事を辞めて夫についてきた駐在妻の葛藤に共感することもできた。男女の役割は幸あるべきといった旧来の価値観、そして自分のプライドやエゴを一旦捨てて、主婦の視点、子育ての視点など新しい視野でこの社会を見渡せたことが、間違いなく自分にとって新たな学びの機会だったと言えます。

主夫になって、一番戸惑ったことは何ですか?

戸惑ったことは、自分の社会的存在が消え、社会的価値ゼロの人間になってしまったのではないかという気持になったことですね。やはり、家庭の仕事はやって当たり前、だれから賞賛されるわけでもなく、単純作業の繰り返し。かといって楽なわけでもなく、むしろ家事と子育てを同時に行うのは、オフィスで仕事をするよりもしんどい。作業間の切れ目も無いし、ゴールもないし、従って達成感もない。勿論自分で選んだ道ですから、やりきるつもりでやっているのですが、いままで仕事と報酬という意味論理的でわかりやすい労働体型から、家事育児という無償の愛をし続けることに喜びを感じるまでは時間がかかりますよね。

主夫とは、異質な存在だと思いますか?

はい、異質だと思います。現状では。家事はまだしも、たとえ男女の育児・家事分担が進んでいるイギリスでも、やはり子育てのメインは女性が担っていることが多い。女性側でもママ友内にいきなり男性が入ってきても付き合い方がむずかしいのではないでしょうかね。

主夫はこれから増えていくと思いますか あるいは主夫でいることを周囲の人にすすめますか?

これから増えるのでないでしょうか。社会の構造変化や、海外先進国を見渡しても、そうなる傾向にあるのは自明だと思います。

他人に勧めるか勧めないかという観点では、無理に勧めるものでもないかと思います。ただ、主夫になることを迷っていたり、躊躇していたりする人にはやってみるべきだといいたいですね。

そもそも主夫ということがばあまり好きではないですが、これからは、家庭内に主婦か主夫が一人という価値観ではなく、男女どちらもやれることをきちんと分担すべき、主体性をもってどちらも家庭に向き合うべきということじゃないでしょうか。サッカーで言うと、トータルフットボールみたいな感じ?ポジションという概念は存在せず、必要な状況に応じて守備も攻撃もどちらもやる。空いた穴は自分が埋める、そんな形が出来ればいいのではと思います。

主夫と主婦に違いはありますか?

あると思います。これは海外にいても思うのですが、子育てに関してはお母さんのほうが一枚も二枚も上だと思います。例えば子供服を選ぶことはお母さんのほうが得意ですし、WhatsAppでママ友コミュニティーを作って会話が始まったりするのは女性ならではではないでしょうか。リベラルなヨーロッパですらですらそこは女性がメインですから。別に違うからと言って男性が同じことを突き詰める必要もないと思います。男性は力仕事とか、手荒れする水仕事とか強かったりしますし。

主夫とそうでない父親に違いはありますか?

あるとおもいます。自分がそうでしたから。家事・育児を主体的にするか、妻のお手伝いレベルなのかで、家庭への関わり方が意識レベル、行動レベルから変わると思います。

主夫であることを誇りに感じていますか?

感じています。退職というリスクを冒しても、信じた道をすすんでいることに満足していますし、何しろ家族がハッピーでいられている事に満足です。これからの日本社会が進む道を一歩先に体験していることは、何かしら社会に還元できるのではと思っています。

将来的にどのようになっていたいですか?

この先いつ日本に帰るのかもわかりませんし、明確に何かあるわけではないですが、日本にかえったなら普通に仕事に戻りたいですね。ただし、自分のやりたいこと、仕事のスタイルや、子育て・家庭への向き合い方、全てにおいて過去の自分とは変わってしまっているでしょうね。カネ・名誉ではなく、自分ならではの生活スタイルを追求したいと思います。

将来に不安はありますか?

もちろんあります。仕事を辞めてしまったことは最大のリスクです。結構いい歳ですし、日本の転職市場では自分がもはや出がらしの茶葉扱いになっているかもしれません。自分が家族を養える力を取り戻せないのだとしたら、この子の将来はどうするんだろう、どんな教育を受けさせられるのだろうとか、嫌なことを考えることもしばしばありますが、気にしていてもしょうがないので普段は忘れるようにしています。最大のリスクは最大のチャンスでもあるので、主夫になったことをポジティブに活かしたいと思ってます。

周囲からどのように接されているのか


主夫になったという決断は:

妻はMBAホルダーであり、長い産休・育休の努めを終えて、ようやく自分のやりたい仕事に帰ってきました。そして女性の活躍の場を広げようとしている大手メーカー企業に勤務しており、相対的にキャリアアップのチャンスも多い。こんな背景の中で、海外赴任の話が舞い込み、私に相談がきたんです。自分が逆の立場だったら?と考えたら、絶対赴任すべきだと思いました。踏み込むべき時は踏み込まないと、会社というのは代わりは誰でもいるし、チャンスを逃してしまう。だから、行こうと。自分もギリギリなんとかやり直しが利く歳ではあると思うし、今しかないと妻に言いました。その結果、自分がその為に主夫になって家庭を支えるという決断に至ったわけです。別に主夫に興味があったとかではないです。家族全体のハピネスを最大化するためには、役割が変わったって別に良いという考えで、そういった意味では一生主夫サイコー!一生主夫をやりたいと思っているわけでもありません。

イギリスで仕事ができなければ、最初は生活の立ち上げを半年ほどしたら日本に帰るつもりでした。ただ、こちらでなんとかフリーランスでも仕事ができるようになったこと、そしてなにより、主夫をしてみて、妻と子供をここにおいて日本に帰ることは不可能、生活を回せるはずがないということを実感しましたので、とことんこちらで主夫しようと決断するに至りました。

配偶者からはどのように受け止められましたか?

感謝されました。

お子様からどのように受け止められましたか?

ないです。まだ2歳半ですからね、こんごどのような影響があるか、楽しみです。

自分の両親や兄弟

両親からは、将来の仕事・キャリアは大丈夫なのかと心配されました。やはり息子が仕事を離れ無職になって何年か過ごすというのは心配ですよね。これは自分でも不安に思っていることではあるので、不安を煽っても仕方がないし、無理にでも大丈夫!なんとかするから!としか言えませんでした。

自分の友人

イギリスに行くと決断するまで、1,2ヶ月は私も悩んでいました。身近な先輩、友人、会社の同僚に話をしてみると、意外な言葉が帰ってきました。

  • 家族にとってとてもいいじゃない。
  • うらやましい。自分も主夫になってイギリスに行きたい。
  • ぜひやっちゃえ。
  • 今後のことなんかなんとかなるよ。

一人二人なら「無責任な・・」と思ったのですが、かなりの人数から同じようなポジティブな意見が帰ってきたので、お陰様で意志を固めることが出来ました。

きっとこういう生活も選択肢があるならやってみたいという人たちは少なからずいるのではと思いました。ただこれが許さないのが日本の基本的な社会・文化であり、皆同じような生活に収まっているのではと強く感じました。

唯一、会社の上司だけが、今後のキャリアどうするの?行かないのが一番いいんじゃない?と言いました。勿論正論だし、心配をしてくれたのだと思いますが、強烈に心のなかで「それは違う」と感じた瞬間でもありました。やはり社会における男女の働き方のパラダイムシフトが起きている中、過去の価値観がこれから通用するとは思えなく、信じる道を行こうと思いました。

おわり

ママ達の乱(パパも少々含む)その3

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前回からの続き

ナーサリーのサービスクオリティにママ・パパの不安/不満が爆発。窮状を訴えようとナーサリー園長のサンドラを前に2−3歳児クラスの父母が12人ほど集結。我が家は妻の都合がつかないので、自分が早めに仕事を切り上げ、出席。若干緊張が走る重い雰囲気の中、早速がら空きの教室にサークル状に席を並べ、着席する。

園長も今回の会合のアジェンダを作成済みで、早速紙を配り始める。丁寧な準備というか、何となく受けて立つといった感じ。大まかな構成は1. ディスカッション、2. これまでの親からのフィードバックを受けた今後の園としての対応、といったところ。

議論の口着を切ったのは、昨日の事前ミーティングを仕切ったスペイン人のパパ。まずは今回の会合を開いてくれた旨、および子供達の面倒をみてもらって大変感謝している旨をお礼として伝え、決してクレームではなく、建設的に話がしたいという口上を述べた。

その後、事前の打ち合わせ通り、ママたちが次に続く。要望や提案などを交えながら、クラスのリーダシップの欠如、起因する部屋の整頓や子供のケアの不足、園からのコミュニケーションが不足していることなどを述べていった。

これらの内容は既にメールや個別の相談でサンドラは把握済みであるため、皆からの話を一旦聞いた後、サンドラは畳み掛けるように回答をし始めた。

  • 部屋のカオス状態について
    •  部屋のレイアウト上、当該クラスの教室が他の年次のクラスの通り道にもなっていることが一部原因。朝9時以降は他クラス生徒、父母の通行を禁止し、裏口から入ってもらうようにする。
  • クラスのリーダーシップ不在については
    • クラスの保育士リーダーのサマンサは産休復帰直後で、2週間後にフルタイムに復帰する。
    • サマンサはこのナーサリーでももっともベテランで有能であり、我々父母が考えている部屋の整頓や子供のケアの改善は問題なくなるだろう。
  • 今後の改善点についてのフォローアップ
    • サマンサがフルタイムで復帰し6週間後に個別のミーティングを父母と行う。

終始園長のサンドラはにこやかに話しているが、スタンスとしてはあなた方は素人、子育てに不安はあるのも判るが、私の言うとおりにしなさいという毅然としたというか、頑固なところが見え隠れしている。何か提案があっても圧倒的な経験の差であれはこうだから、それはわかるけど結局こうなっちゃうから、みたいな形で撃破されてしまう。

  • スタッフの顔が見えない、誰だかわからないという点については、
    • 各教室の入り口にスタッフの写真が貼られている。ナーサリーは全てオープンなので自ら見に来て欲しい。
  • ナーサリーが父母会を開催してもいいのではないか
    • これは過去やったことがあるが、結局皆忙しい為、人が集まらなくなる。

など、結局、サンドラのペースで話が進んでいく。

そして最後に今回集団的行動の発端となった、WhatsAppでの親たちの交流についてクギを刺してきた。WhatsAppのママチャットについては、ネガティブな不満をぶちまける場所にならないよう、念を押してきた。不満があれば、個別に私のところに相談しに来てほしい。いつでもオープンドアにしておくからと。

SNSネガティブなことを親同士で情報を交換しても良い方向に行かないし、万が一園に対する誹謗中傷をfacebookなどにポストしたりすることは、法的措置をとることにつながる可能性もあるとまで言ってきた。

会合が終わった後もパパママたちは今後の改善がどうこうよりも、サンドラの対応のWhatsAppの話で持ちきりになってしまった。

「SNSになんであんなに目の色変えて高圧的になるんだろうね。過去に親たちとトラブルがあったのかな?ちょっとやな感じだよね。」

ともあれ、この後集団でどうこうするという話は一旦終了し、我々としては状況の改善を見守っていくことと、個々人の問題は個別にサンドラに相談することで収束していった。後者については、親たちは個別にサンドラとより個別イシューなどについて話す機会を設けてもらうことになった。

それから数日後、サンドラからフォローアップメールが来た。あれこれかいてあるのだが、やっぱりSNS、というか集団行動を相当嫌っている一文が。

Referring to your ’Whatsapp’ group that you’ve tagged on to your mail; as long as this remains a positive group to “arrange local meet ups for the kids and for the parents too”, it is fine, however should it be used for negative purposes and become a means for slander, mobbing or defamation, then this type of communication and behaviour would be totally unacceptable, as i am sure you would agree, and action would have to be taken to stop it.

メール内で引用されていたWhats appグループについては、子供達や親たちが集まって交流を深めるためのポジティブなものなら良いのですが、もしそれがネガティブな目的、例えば園の悪口を叩いたり、集団的暴挙を図ったり、誹謗中傷につながる事に利用するのであれば、コミュニケーション方法としては全く受け入れる事ができません。私の考えに賛同してもらえると思ってますが、こうした行動にならないようにしなくてはなりません。

なんじゃ?すごいinsultingな表現だ。父母に向かってslanderとかmobbingとか使うのか?

たとえ、集団でモンスターペアレンツ化されないように親たちを個別に分断しようとしても、こんな書き方で皆に送ったら藪蛇ではないのか?

この一連の出来事における最終ラウンドは3週間後、私と妻、園長との個別ミーティングへとつながっていく。

つづく

マニュアル車の運転で大ピンチ 後編

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前回のあらすじ、スコットランドのエジンバラに家族3人+義理の両親で旅行、1日だけレンタカーを借りて近くの国立公園へ足を伸ばそうとするが。車がなんとマニュアル車、しかも20年近く自分はMT車を運転していなかったのだった。

今思えばレンタカー屋から家族が待つ宿泊先まで、1.5キロのエジンバラ旧市街ヒルクライムが出来たのは奇跡に近い。

とにかくストップ&ゴーがいやなのでラウンドアバウトは完全交通ルール無視、右から来る車があろうとなかろうと演習内に割り込んで怒号のようなクラクションを鳴らされる。

お次は坂道、なんとトラックがUターンしようとして道が塞がれているではないか。まさにイジメのような展開。仕方なく停止と再発進をするハメに。坂道で唸るエンジン、にもかかわらず進まぬ車、そしてドスン、プスンのエンスト。何度繰り返しただろうか、パニクってきたのでハザードを出し、窓を開けて積もり積もった後続車の列を先に行かせ、落ち着いてから再度エンジンをかけ直す。

そのまた次は中世から続く石畳の道。狭い上に人も多くいつストップしなくてはならないか気が気じゃない。と思ったら坂の途中の交差点で信号にハマり、逃げも隠れも出来ない流れの中で坂道発進を強いられる。

ただただ、後ろにずり下がって後続へ衝突しないことだけを願ってすすむ。

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いつまでたっても変速が出来ない、うまくシフトアップ出来ない。シフトレバーがうまくキマらないようだ。
結局ローギアで走り続ける。

ようやく宿についたときにはおでこから脇まで汗びっしょり。これから始まるドライブ旅行なんて全く出来ないどころか、こんな旧市街の行き止まりみたいな所で方向展開して表の道に出る自信もない。

珍しく、胃がキリキリ刺すような痛みがしてきた。とても胃が痛い。緊張と動揺と焦燥に胃酸過多になってしまったようだ。

情けない。。。

結局、MTブランクは自分と同じくらいだが、MT歴で言えば数十年の義父にドライブしてもらうことになった。いやあ、家族4人を危険な目に遭わせる訳にはいかないし、もうここはお願いするしか方法はなかった。

一行は第一の目的地である、Bracklinn Fallという滝を目指す。

そして1時間半程走らせたところで、滝の最寄りのCallanderという小さな町で昼食を撮った。

昼食後、再び自分がハンドルを握りることにした。大分気分も落ち着いたし、なにより先ほどのヘナチョコドライビングのリベンジをしたかったのだ。

相変わらず不安定な発進。しかし助手席のお義父さんのアドバイスもあり、何とか車はスタートする。

そして事件は起こる。

数百メートル進んだ先に道路工事があり、1車線が塞がれて、仮説信号による交通整理が行われていた。

赤信号だったので停車し、青信号になって再始動した。すると何やらプラスチックのような化学製品が燃えるにおいが車内に立ち込める。臭い。

そう思ったとき窓の外から白い煙が上がるのが判った。

ヤバイ!!!車が燃えてる、煙がでてる。

ボンネットフードのスキマからも煙がもくもくと上がってくる。室内はむせ返るような樹脂の焦げる匂い。

うわ、たまらん。慌てて住宅街の広がる脇道にそれ、路肩に車を停める。

2歳の娘も「くさいー」と訴えている。

外に出て車体を確認すると、ボンネットフード、そして車体の下から白煙が湧き上がっている。

なんだかわからんが、やっちまった。

mokumoku

火事になるのではないか。そう思うと更に恐ろしくなってくる。

「みんな逃げて!!」

全員外に退避させてボンネットフードを開ける。どこが燃えているのかは判らない。
まだ勢い良く煙がでているので、何かが燃えているようだ。

ともかく、この煙が収まらないことには何も出来ない。

スコットランドの片田舎で途方に暮れる。
ただただ横を通り過ぎる車からの視線が痛い。

これからどうなるんだろう。嫌な想像がモヤモヤと白煙の如く湧き上がってくる。

車はもううごかせないのだろうか。弁償はいくらくらい掛かるのだろうか。今日はエジンバラに帰れるのだろうか、明日はロンドンに帰らなきゃならないのに。車がなかったらここからどうやって戻るんだろう。。。。悶々。

ところが、一縷の望みが訪れた。

通りすがりの人が妻に教えてくれたらしい、なんとこの立ち往生の場所からすぐの場所に自動車整備工場があるとのこと。
ついさっきの道路工事の現場の横だ。大急ぎでその場所へ向かう。

大通りに工場の看板が見えてきた。看板を折れて少し砂利道の私道を進むと、古めかしい整備工場が見えてきた。
ガレージの中にはおじさん4、5人がおり、その中の2人は立ちながら昼飯のサンドイッチを頬張って雑談をしている所だった。

「すいません、車が故障して困ってるんです。ちょっとみていただけませんか?」

「どうしたの?」

「エンジンルームから白煙が上がってるんです。すぐそこ、歩いて2,3分の停めてあるので来ていただけませんか」

「車種は?」

Jeepのうーん、なんだっけな、小さいやつです。グランドチェロキーより小さい。」

「わかったあとで行くから場所を教えて。」

助かった!
その後30分後くらいにおじさん到着。状況を一通り説明する。

すると、おじさん曰く

「クラッチだね。クラッチ板が擦れて燃えたんだよ。クラッチを外さないで走ったでしょ。もう既に煙もなくなっているから、運転はできるよ、クラッチを擦りすぎないように注意してね。」

とのことだった。

よくよく思い出せば確かに変速するとエンストするかもしれないという恐れがあって、半クラのまま1速で数百メートル走ってしまったのだ。半クラのまま3000回転とかで数分走ればクラッチ板が燃えるのも納得。というか反省。。。

帰ってからYoutubeなどでマニュアル車の運転方法が結構UPされていることがわかった。これを見たら昔習ったことをおぼろげに思い出してきた。坂道発進はハンドブレーキをかけたまま発信し、ブレーキを下ろす、そうそう、あったあった。もし最初にわかっていればある程度まともに運転できていたのでは・・・・。

ヨーロッパ人必須スキルのMT車運転。レンタカー代もATとMTでは1日1万円位値段がちがってしまうだけに、どうしてももう一度リベンジしておきたい今日このごろ。

近所でレンタカー借りてスーパーの駐車場で走らせるか。でもやるならToyota Yaris(日本名ヴィッツ)位のかわいいので始めたい。