今月から働きます

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6月になったが、朝の気温は10度。まだダウンジャケットやコートが必要なくらいロンドンは寒い。迂闊にも風邪をこじらせてしまった。そんな相変わらずの天候の中、自分の状況は大きく変化.。今月から働きます。

この3ヶ月、仕事をなんとかこちら再開したいと悪戦苦闘を繰り返していたのだが、駐夫(帯同者)の壁は厚い。日系転職エージェントを通して応募した10件弱のポジションは全て面接すら進まず終了。

そもそも、給与額より時間のフレキシビリティを求め、帰国時期が妻(正確には妻の会社)次第という私は、一般的に年収の20%と言われるフィーをもらう彼らのビジネスモデルには 商材として合致していないのだ。企業がエージェントに支援を依頼する時点で、必要な人材は正社員、願わくば終身雇用という相手を探している訳で。思惑半ばで従業員が帰国してしまったら企業としてはエージェントに”金返せ!”となってもフシギではない。

やはりここは、現地の日本人経営者にお会いしていろいろ相談をさせていただき、ご支援いただいたり、彼らの細かいニーズを拾ったりしたほうが、より自分の希望に合致しやすい仕事内容やスタイルにたどり着けるような気がしてきた。

そのような中で、プロジェクトベースで数ヶ月、とある日系のIT企業のお仕事をいただくことになった。

勿論直接企業と条件等は話し合うが、期間も勤務形態もフレキシブルなので直接契約/雇用ではなく、派遣会社に登録し、派遣社員として勤務する。自分は子供の面倒を見なくてはならないので、週3日子供をナーサリーへ送迎し、その空き時間(9時〜5時)で仕事をして、残りの2日間は子供と一緒に過ごすというアプローチとなる。これであれば、企業側も労働者側もWin-Winとなりうる。

このような身勝手な願いを聞き入れ、声をかけていただいた社長には本当に感謝しか言葉が見つからない。

勿論子育て担当の主従は入れ替わるが、海外でも東京にいた時と変わらず、夫婦で日本と変わらず子育てと仕事の両方を実現させたい。その試みの最初の一歩が始まった。

海外赴任となると、昭和のパラダイムでは男性が海外で出世街道を進む中、女性が仕事を泣く泣く手放し、完全に家に入り、子作りや子育てに専念という形式が一般的。ただし、今後はどうであろうか、日本の人口が縮小し一億総活躍時代と呼ばれる時代、これからのビジネスにおいて”海外進出”×”女性の活躍”というキーワードは当然の帰結と予想される。

一般的に男性に比べ語学が好き/得意な女性は多い。結婚しても海外赴任する機会も多くなるであろう。その場合夫はどうするのか、帯同して家に籠るのか?でもそれでは昭和のパラダイムの中で性別が入れ替わっただけだ。子供も産めない分女性よりも分が悪い。

男性だからこそ、どんな国に放り出されてもたくましく自分の能力を発揮すべきではないのだろうか。海外で専業主夫として時を過ごすのは、帰国後の家族の生活リスクを高めてしまう。

それが私の渡英にあたってのテーマであり覚悟であった。仕事ができないなら帰ろう、しかし40歳過ぎとは言え、もしそうなったらそんな情けない自分でいいのかと。

ナーサリーで覚えた英語の歌を歌う娘を見て思う。子供は可能性の塊だと。でも自分も可能性を捨ててはいけない。幾つになっても。だ。

パリでカメラ盗られた その1/2

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最近旅行に行く度に災いが起こる。お祓いしたい。。。

このネタのシリーズも3本めを数え(一本目二本目)、どこまで不幸の連鎖がつづくのかこちらもヒヤヒヤしている。

さて、4月の下旬、日本からはるばるロンドンに遊びに来た父を連れ、パリ12日の弾丸旅行に連れて行った。

70歳中盤に差し掛かった父は海外旅行をろくにしたことがなく、今回のロンドン訪問が初ヨーロッパ、たった2週間のロンドン滞在だが、折角なのでロンドンの地味な街並ではなく、パリの壮麗な景色を見せてあげたかったのだ。

とにかく時間がないので2日間でエッフェル塔からルーブル美術館、モンマルトルなどめぼしい観光スポットは全部回るという、まるで学生のような力技仕様の旅程を組む。

一日目はロンドンからは朝8時のユーロスターに乗り、12時前にはパリへ到着。そこからエッフェル塔へ、最上階からの帰りのエレベーターが激混みだったために全て階段で地上まで降り、凱旋門に登り、シャンゼリゼを下ってコンコルド広場まで約2km歩き、地下鉄でアルマ橋まで向かい、そこからセーヌ川クルーズを楽しみ、最後にオスマン通りのホテルに到着すること既に午後8時。

この間、昼飯は時間を惜しみエッフェル塔の下でパニーニを買って歩きながら食べただけ、オシャレカフェなどで休むなど言語道断。ひたすら目的地まで進め進めとばかり、まさに地獄の行軍を果たした我々父子はもうクタクタ。70過ぎの親父は足の皮が剥けたのに加え、凱旋門の螺旋階段で完全に足腰に来てこれ以降長い階段が登れなくなってしまった。

インパール作戦並のドSな行軍の後だが、ディナーは二人共ジャケットをきちっと着こなし、レストラン(セーズオスマン)でブルゴーニュの赤を傾けフレンチを楽しんだことだけは付け加えておく。

つづく

渡英半年経過後の生活展望

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八重桜の花びらがまるで絨毯のよう

渡英して半年が経過した。

ここロンドンで、地縁なく、人脈もなく、しかも子育てのリードをとらなくてはならない、この3つの制約のなかで、自分がどれだけ主体的に未来を切り開けるのだろうか。当初からの自問である。

少しずつではあるが、上記の答えが見えてきそうな予感がしている。

最近はロンドンで活躍される日本人経営者の方々にお会いする機会が増えている。

お会いする経営者は皆数々の苦労を乗り越えながら、十数年間このロンドンで力強く生きていきたかたばかりだ。そのような方々から、主夫として渡英した私や家族への理解と応援だけでなく、仕事面の支援までいただいている。

自分はこの異国の地では社会的ステイタスも収入額など守るものなどなにもない。全部日本に捨ててきてしまった。大切なのは子供の健やかな成長だけ。もはやゼロベースから再度人生・生活を構築するようなものだ。

立場や状況は違えど、経営者の方々もそのようなゼロベースの人間にかつての自分を重ねあわせ、手を差し伸べてくれているのかも知れない。

海外に来なければありえなかった素晴らしい出会い。ご縁を大切にしつつもっと駆け足で進まねば!

コッツウォルズで車がパンク その2/2

これまでのあらすじ:
日本から遊びに来た両親を連れてコッツウォルズ地方へドライブの旅へ。最終日の朝、路肩に乗り上げた車の助手席側の前輪がパンク。ピンチに陥る。

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スペアタイアはどこだ?
困った。家族と荷物を満載でパンク。しかも問題は民家があるとはいえ国立公園内のど田舎。観光では人里離れたのんびりした景色はウェルカムだが、一転、他人のヘルプが必要になるような状況に陥るとこの景色は地獄絵図に変わる。

と言っても最初は意外と冷静だった。なぜなら、スペアタイアをつければ近くの街のガソリンスタンドで交換できるのではと考えたからだ。

ところが、トランクの底を開いてみて衝撃が走る。

スペアタイアがついていない。この車。
スペアタイアがあるはずのくぼみには、スプレー式の修理剤ぽいものが付いているだけ。

車の中は幸い2歳の娘はすやすや寝ているが、母親はひどい風邪を引いており、寒さに震えている。

とりあえず車のリース会社に連絡、AAに連絡してヘルプを依頼せよとの指示をもらう。AAというのはAutomobile Associationの略、要はJAFみたいなもの。こちらを呼び出して1時間半後に到着するとのこと。

案の定イギリス、30分遅れると連絡が入り2時間待ちの羽目に。脇道への入口を塞ぐように車を停めてしまったので、その間脇道に入る車に迂回してもらうようひたすら謝りまくる。中にはこちらが困っているのを説明してるのにも関わらず、どけ!コラ!ばりにクラクションとパッシングと文句を言いまくる居丈高な野郎がいて本当に頭にくる。

そしてAA降臨!
電話をかけて2時間、ようやく救世主AAの黄色い車がやってきた。そして人の良さそうなおじさんが降りて来た。

AA

早速スペアタイアに交換してもらう。その後近くの(といっても10マイル先の)Eveshamという街のタイヤ屋さんに案内してもらい、事なきを得た。

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しかし、昼飯も子供に食べさせることが出来ず、時間は既に午後1時を過ぎている。本来午後はさっさとロンドンに帰る予定だったので予定が完全に狂った。

しかしこの不吉な空気をどうにかしたく、気を取り直し、再びコッツウォルズへ戻り、最後にHidcote Manor Gardenという庭園へ。

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綺麗な庭園もさることながら、庭園の外に広がる牧草地ではのどかに草を喰む羊が間近に見れた。彼らボケーっと見て今日の心のキズを癒やしたのだった。

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そして、この翌週の旅でさらに不幸が訪れる。

つづく。

コッツウォルズで車がパンク その1/2

最近旅のアクシデントが多くてお祓いに行きたい気持ちになる。

4月中旬、日本より両親が遊びにきたこともあり、家族+両親の5人で英国コッツウォルズ地方に23日のドライブ旅行に出掛けた。

初日はバースへ。ローマ時代の浴場を見学。2000年前ローマ人がはるばるこんなところまで来て風呂を作るそのこだわり・情熱がすごい。半端無く風呂が好きだったのだろう。

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その後コッツウォルズ南部地方の美しい自然と鄙びた村を回る。

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2日目はコッツウォルズ北部へ移動。午前中は引続き美しい村々を訪れる。本当に癒される。

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午後は早めに宿泊先であるチャリングワース・マナーハウス・ホテルに向かい、アフタヌーンティーを愉しんだ。

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Charingworth Manor Hotel HPより

3日目は午前中は引き続きコッツウォルズ北部を旅し、Hidcote Manor Gardenという庭園を訪れた後、早めにロンドンに帰るはずだった。しかし事件は起きた。

チッピング・カムデンという町に訪れた時の事だった。

町外れを進んでいくと、美しい住宅街に景色が変わった。住宅街を走る狭いが車の往来もそこそこある上下2車線の道沿いに、ガイドブックで見た曲線が美しい茅葺き屋根の家が見えてきた。

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写真を撮るために母と妻をおろそうと、路肩に寄ったのだが、車は大人4人+子供1人+荷物満載の状態、ブレーキの利きが甘くそこそこスピードを出したまま路肩の段差を乗り上げてしまった。すると、ガツンとものすごい衝撃が左前車輪に走る。茂みに隠れて石段がよく見えなかったのだが、結構な段差があったようだ。あっ!と思いきや、ダッシュボードの警告灯が黄色く光る。なんとタイヤの空気圧低下信号が出てしまった。あれよあれよというまに左前のタイヤの空気圧が0となった

外に出てみると見るも無残なぺしゃんこのタイヤ。ああああ。。。。

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つづく。