ロンドンの保活事情

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イギリスも日本と同じ共働きが基本なので、子供を産んだ後、女性は職場に復帰するために保活が始まる。しかしその厳しさたるや、昨今保育園不足と言われている東京と同じくらい厳しいのではないだろうか。

まず、イギリスのナーサリーについてだが、こちらは日本より1年早く5歳から義務教育(小学校)が始まるので、保育は0−4歳までの間になる。また、日本と同様、2歳半から4歳は小学校に上がるための幼稚園的な教育が平行して始まる。

ナーサリーに入るためには、長いウェイトリストを待たなくてはならない。こちらでは日本の公立保育園という概念が無い、つまり料金が安くて品質も均一、そんなものはないのだ。月30万円位お金を出せばその分だけ良い施設に入れるし、人気がないところは質も悪い。値段も質もそこそこ、といった中間層はいつも人気になってしまう。

自分も何件か説明会を回ったのだが、お腹の大きなお母さんや、まだ1歳半ば程度の小さなこどもを連れて説明会に来ていたのが印象的だった。

特に、私立の小学校に相当するプレップスクールの付属ナーサリーとなると非常に人気が高くなる。名門パブリックスクール(私立中高に相当)に入るためには、それなりの優秀なプレップスクールに入学する必要があり、ナーサリーから入ればエスカレーターでプレップスクールへ上がれるからだ。勿論名門パブリックスクールに入れれば、かのオックスフォード大学やケンブリッジ大学が見えてくる。ここでは受験戦争が保育園から既に始まっているのだ。

運良く順番が回って入園出来たものの、フルタイムで入れない場合もよくある。そのばあいは、週に2日、3日からスタートするしか無い。

週に2,3日しか預けられない、もしくはウェイトリストですぐには入れない場合、どうするのか。

この場合は、母親が週3日のパートタイム勤務に切替え仕事をするか、フルタイムで働くならばナニーを雇うもしくはチャイルドマインダーという保育士の自宅に預けるという方法をとる。

ナニーはこちらでは結構ポピュラーで、フィリピン人の女性が白人の子供を連れて、近くの公民館の子ども教室に遊ばせに来たりするのをよく見かける。ただ、これもかなりお金持ちのオプション。人一人雇うわけだから相当な値段になる。従って一人のナニーを2人でシェアしたりすることも多いそう。チャイルドマインダーも人気だが、やはり月20万円はかかる模様

我が家はこの国でお受験させるわけでもないので、普通のナーサリーでのびのびしてもらえれば良いと思い、通わせている一方、イギリス人だったらさぞ子供の将来をどう設計するのか、頭を悩ますことが多く大変だろうなと思う。

芝花粉症になった

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最近になって花粉症の症状がひどい。常時ではなく、特定の場所に来ると発生するのだ。日本では花粉症でなかったのに全く困った話だ。

鼻水とのどの痛み、分かる人にはわかると思うが、あのメロンを食べた時に起きるイガイガの感覚。

その特定の場所とは公園。森や雑木林ではなく、芝生が広がる街中の整備された公園。例えばプリムローズヒルやリージェンツ・パーク、チェルシー王立病院の敷地で行われたチェルシー・フラワーショーに行ったりすると激しいアレルギーが出た。

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どうやらこれは芝花粉症といって、こちらではメジャーな花粉症とのこと。芝生から発生する何かがアレルギー源になっている模様。
折角芝生の緑が美しい季節なのに子供を遊ばせるのが億劫になる。

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しかたがないので、鼻に関してはこちらの点鼻薬を購入。
しかし、鼻は良くても喉は治らない。

最近は芝生のないところ、とにかくロンドン中心部にいくだけで鼻の調子が悪い。
自分の住んでいるハムステッドも公園があるのに、本当に不思議だ。

ラウンドアバウトでぐ~るぐる

By Andy F - Own work, CC BY 3.0
By Andy F – Own work, CC BY 3.0

日本人にとってイギリスで車を運転するのは楽だ。イギリスは世界的なマイノリティである右ハンドル左側通行の総本山。但し日本とは大きく違う点が一つある。ラウンドアバウトの存在だ。

日本名は環状交差点と呼ぶらしく、最近導入が進められているようだが、イギリスでは狭いロンドンの中心部は別として、街中の生活道路レベルからモーターウェイと呼ばれる自動車専用道路までとにかくラウンドアバウトが多い。

これをマスターしないとイギリスでの生活ができない。基本ルールはただ2つ。
・環状交差点に入る場合はを右から来る車を優先し、進入する。
・環状交差点内では進行方向は左、つまり全ての車は時計回りに回る。

日本ではまず見かけないこの交差点、最初はとても緊張する。

入るときの緊張感

ラウンドアバウトの手前で停止、右からくる車がいなくなるのを見計らって入るのだが、交通量が多い時は一瞬のスキをみてエイヤっ!と突入しなくてはならない。最初はタイミングが掴めず、いつまでたっても輪の中に入れない。そのうち後続からクラクションを鳴らされ更に焦る。

どの出口で脱出(左折)するのかわからなくなる

輪の中でグルグルすると途端に方角がわからなくなり、どの放射道路へ出ればいいかわからなくなる。東西南北4方向のオーソドックスな交差点であれば、わかりやすいのだが、五叉路以上になると訳がわからなくなる。あれ今の出口が2番めだっけ?3番めだっけ?なんて言っているうちに違う道に出てしまったりする。

いざ脱出したくても出られなくなる

2車線以上の環状道路の場合、侵入後すぐに脱出する場合は輪の外側、それ以外の出口は内側を走り、必要に応じて外側の車線に移って外に抜ける。但し沢山車が環状道路にいる場合は、車線変更が出来ずおろおろしているうちに出口をミスって通りすぎてしまう。その場合2週目のグルグルに突入、ハンドルを握りながら、輪を走るハムスターになったような気がしてやるせなく、情けない気持ちになる。

恐怖Max! マジックラウンドアバウト

最初の戸惑いも今やいい思い出、一か月も車を走らせればすっかり慣れる。しかし、先日Swindonという街を通った時、史上最強のラウンドアバウトに遭遇した。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA
wikipedia

なんと、一つのラウンドアバウトに小ラウンドアバウトが5つ!このような複合ランドアバウトはマジックランドアバウトと呼ばれ、ここSwindonのものはイギリス屈指の難易度と恐怖感が味わえる。

私はこのマジックランドアバウトにたまたま通りすがってしまったので、その恐怖たるや、本当に半端無かった。

広大な広場は、あちらこちらで車がくるくるとまるで舞踏会、小ランドアバウトはそれぞれ時計回りだが、中心の大きなランドアバウトは反時計回りに回っている。どこに向かっているのか頭のなかは大混乱。そもそもどうしたら右端の道から左端の道へ抜けられるというのだ。前知識がなければ正直攻略できない。

 

swindon magic roundabout
itv news

写真には収めなかったが、マイカーのナビの地図が一瞬で方向を判断出来ないほど複雑怪奇な模様になっていた、結局、進入後左から2つ目の出口に行くはずだったのだが、堪らずすぐ左隣の出口から逃げ出して、他のルートで目的地に向かった。マジックランドアバウト体験はその一回きり。今振り返ればもう少し遊んでみれば良かった。残念。

運転席からの眺めは下の動画をどうぞ。

ナショナル・トラスト

ashridge_estate

ビートルズの曲に Happiness is a warm gunという曲があって、中学生当時、あまりのカッコよさに身悶えしながら、何度も何度もカセットテープを巻き戻して聴いた、ホワイトアルバムの曲の一つだった(ちなみに身悶えしていたもう一つの曲はHelter Skelter)。その歌詞にNational Trustという単語があった。それがなぜか妙に耳に残るため記憶に残っていた。

ようやく30年近く経ち、初めてNational Trustが何なのか判った。

National Trustとは歴史的文化遺産や自然景観を保護する非営利団体、こちらの会員になることで同団体が管理するイギリス国内の施設や公園などに割引で入れるほか、駐車場料金も優遇を受けることが出来る。夫婦で年間105ポンド。後日会員権とガイドブックが送られてきた。施設によっては入場料が一人20ポンド程度かかったりするので、3回程度行けば元は取れる計算。

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民間の草の根運動を発祥としているので、政府や地方自治体でカバーできないような小さな古民家から、景観の素晴らしい地域まで市民の視点で保護を進めていることが素晴らしい。

写真はそのナショナル・トラストが管理する、国内でも有数のブルーベルの群生地、Ashridge Estate。ロンドンから車で1時間半程度で気軽に行けるのが良い。

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パリでカメラ盗られた その2/2

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これまでのあらすじ
父に花の都パリを一目見せたいと、ロンドンから鉄道で一泊二日の旅に出た。二日間という限られた中で可能な限り見どころを回るべく、初日から昼飯も盗らず歩きっぱなしの旅となった。

二日目は最終日、一つも取りこぼしがあってはならぬとばかり、昨日に続いて行軍は続く。

ホテルからまず向かったのがルーブル美術館。途中カフェで朝食をとるも、朝っぱらからまず2キロ歩いて到着。その後超特急でミロのビーナス、モナ・リザなどルーブル内の見どころを周り、昼はピラミッド駅の近くでフォーをすする。その後オペラ座まで歩き、そこからモンマルトルを目指す。途中ムーランルージュを見ながら丘を登り、丘の頂上サクレ・クールまで到着。丘に登るのはさすがにケーブルカーを使ったが。。

サクレ・クールのドームに登ろうとしたが親父はもはや膝が限界に来ており、自分だけ登ることにした。

サクレ・クールの螺旋階段を登りながら、大問題に直面することとなる。自分の鞄の中に入っていたはずのカメラがないのだ。肩掛けカバンを背中に向けていたので抜かれたのだ。

そこそこ高かったんだよ。キャノンのG16

思い返してもどこで盗られたか思い出せない。最後に写真を取った場所だけは覚えている。ルーブルの中のモナ・リザの前だ。

ものすごい人で常にごった返すモナ・リザ前、写真を取って、鞄のポケットにさっと入れたところを後ろから見られていた可能性は高い。

でなきゃ、オペラから乗った地下鉄の中か。
もしくはモンマルトルに登るケーブルカーか道中か。

でももう遅い。こんなこと振り返ったってこの国で盗まれたものが帰ってくるはずなど100%ない。

すっかり意気消沈。弾丸ツアー最後の目的地、ノートルダム寺院を残していたが、全くやる気がなくなってしまった。

最後の望みをかけて、ピラミッドのベトナム料理屋へ戻るが、結果は☓。

ショックなのはカメラの盗難それ自体というよりも、その中に入っていたSDカード。この中に昨日のパリの写真も入っているが、前週に行ったコッツウォルズで撮った写真が沢山入っていたのだ。

原因の一つとして、自分のセキュリティ認識が甘すぎた。イギリスは思いのほか安全・安心な国で、日本とほぼ同じ感覚で住めてしまう。だからこそフランスでは親父の行動は監視して、財布を不用意に道端で出さぬよう注意したりしていたのだが、自分が疎かになっていた。情けない。

その後とぼとぼとシテ島へ。頭のなかは葬送行進曲。曇りきった私の目を通してみるノートルダム寺院の姿はまるで今話題の知事が居座る東京都庁舎にしか見えない。

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こんなに後味のわるい旅も滅多にない。3部作の最後を飾るのに最適?最悪?なエンディングだ。3部作で不幸が止まれば、の話だが。

しかし70中盤の親父の足腰の強靭さには恐れ入る。当分健康で長生きできるのでは。これが唯一の良い話かも。