妻の出張・子の脱臼 その2

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前回からのつづき

翌朝になっても、娘は痛がっていた右腕をぶらんと下げたまま、左手だけでなんとか朝食のシリアルを食べている。

これはやばいと焦り、早速朝一で病院に連絡、お医者さんに診てもらうことにした。

やはり娘の肘は脱臼。病院にて

まず面会した医師は小児科医。触診とX線検査を受けた後、X線写真では特に骨の異常、関節の以上は見当たらないとの事。暫く様子を見ましょうという話になった。

そして診察室を出ようとしたその時、午後から整形外科の先生が来るので、念の為もう一度見てもらって欲しい、と言われ、午後も診察してもらうことに。

整形外科の先生に娘の腕のX線写真を見てもらうと、なんと軽い脱臼、肘の関節がずれてしまっているとのこと。

となると行うべき施術は一つ、腕を思い切りグイッと引っ張って、元の位置に戻すこと。
わかっちゃいる、わかっちゃいるのだが背筋が寒くなる。痛々しい、娘が不憫でならない。

自分が娘の身体を押さえつける一方、先生と看護婦さんが娘の右腕を思いっきり引っ張る。

当然娘は絶叫する。処置とはいえ、親としても大人2人が2歳児の小さな腕を力づくで引っ張る光景は見ていられない。

しかし腕の関節が正常な位置に戻るやいなや、わりとすぐに泣き声は落ち着いた。痛みは引いたようだ。

そしてギブスと包帯でグルグル巻きにして、肘を固定。手首と肘は筋がつながっているので、手のひらから二の腕までほぼ腕の全域がギブスで固定されてしまった。

妻の帰宅

二日目の夜遅く、妻が帰宅してきた。海の向こうのイタリアで余計な心配をさせても仕方ないので、これまでLINEのやり取りでもほぼ沈黙を通してきたが、帰ってきて一連の出来事を説明。既にベッドに寝ている娘を見に行くが、腕のギブスが邪魔で姿勢がぎこちない。寝苦しそう。先生曰く、ここから4週間はギブスで固定しておく必要があるそうだ。

ギブス生活、1.風呂が大変

右腕腕全体にはめられたギブスの為、濡らさないようにシャワーを浴びせるのが一苦労。最近は浴槽にお湯を張り、泡風呂に一人で入ってもらうことも多くなった中、シャワーだけ、しか右腕を濡れないように面倒を見るのはとても手間がかかる。

ナーサリーの先生にこの話をしたところ、オススメの道具を紹介してもらった。

LIMBO

limbo

要は頑丈なビニール袋なのだが、腕の入り口がウェットスーツ素材で出来ており、伸縮性があってスキマを作らない上、撥水効果があり、シャワーだけでなく入浴でもお湯が腕の中に入ってこない。優れもの。

2.服を着せるのが大変

ギブスのせいで芋虫のように鳴ってしまった娘の右腕、普通の長袖はまったく通らない。かと言って半袖では過ごせない位寒くなったので、大きめのパジャマや服を着せるしかない。近くの安い服屋(Primark、しまむら的な感じ?)で4歳児用のフリースを買いなんとかした。

3. 食事が大変

カトラリーの使い方をきちんと学んで欲しい年頃の娘、利き腕が使えなくなって左手でスプーンを使おうとするが、なかなかうまくいかない。食べ物が皿からポロポロこぼれる。しまいには手で食べるか、「パパ、食べさせて」とせがむ。せめてもの罪滅ぼしにとスプーンで味噌汁を掬い、口に運んであげる。

そして1週間後

再び病院に訪問し、肘の状態のチェックとギブスの交換を行う。2週間位交換なしでいいと言われたのだが、そこは小さな子供、1週間のナーサリー生活でギブスは真っ黒、とりかえないと気持が悪い。

再び娘に試練がやってきた。

石のように固まったギブスを切開する為の電動カッターが登場。ピザカッターのような円盤状の刃と削りカス取り用の掃除機が合体したようなもので、ギュンギュンと刃が回り、ズゴーと掃除機の轟音が響く。

娘は轟音に驚きギャアギャア泣きわめく。暴れる娘の手足を夫婦で押さえつけ、先生がギブスに手をかける。ガガガガガーと騒音と振動ともに回転刃がギブスに入り込んでいく。見なくていいのに娘はカッターを見ようとするので掌で目隠しをする。

現在

最初の通院から2週間半たった今週、ようやくギブスが取れた。再度ギブスを取り外すカッターの轟音で娘はパニクったが、これで最後。しかも予定より早い普段の生活に戻ることが出来たので本当に良かった。

しかし娘はいまだに左手でご飯をたべている。左利きに鳴ってしまうのではないかと心配だ。

妻の出張・子の脱臼 その1

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ロンドンにやって来てもうすぐ1年が経とうとし、妻の仕事も軌道に乗り始めたようで、ドイツ、イタリアなど海外出張が多くなってきた。大いに結構な話。

ただ、その間は当然自分はロンドンで子供と2人の生活が続く。

一泊二日の出張ならまあ大した負担にならない。妻が会食や飲み会で遅くなるパターンとそれほど変わらないからだ。

そして自分も気楽でいい。夕食を作るというプレッシャーから解放されるからだ。

自分だけだったら、娘の食事は簡単にスーパーのミートボールを叩いて延ばしてミニハンバークを作ればいいし、自分は冷蔵庫宇野残り物か辛ラーメンを食べて食事をそうそうに済ませ、チーズをツマミにワインかエールをやる、これで十分。

娘も大分状況がわかり始めていて、母親のいない日があっても文句一つ言わずに父との夕食・シャワー・就寝をやってくれるようになった。

しかし、二泊以上になると結構大変である。帰りのフライトが夜になると、更に+1泊分の負担がかかってくるからだ。

子供も2日目以降になると夜泣きをしたり、夜中に目が醒めたときに母親がいないと不機嫌に鳴ったりする。やはりストレスはあるのだろう。

そして今回はいろいろ大変だった。

妻は23日のイタリア出張。帰りの日は帰宅が夜遅くになるので、父娘は33日の留守番生活だった。

1日目を無難にやり過ごし、2日目のことだった。

娘を夕方迎えに行き、アパートの入口まで来たところ、いつものやり取りが始まった。

「パパー、抱っこ!」

階段を登りたくないのだ。うちのアパートにはエレベーターは無い。

勿論、お父さんとしてはここは厳しく「ダメ!」である。

もううちの娘も2歳半を過ぎた。自分で階段を登れるし、登らなきゃいけない分別もついてきている。

「うえーーーん」駄々をこねる娘に再度、

「ダメ!甘えても!階段登ろう、おててつないで。」

娘は最後の抵抗、階段の手前で床にゴロン。ワーワー叫んで。動かない。

そして事は起こった。

両手を掴んでぐいと引っ張って起き上がらせようとしたところ、娘の右手の手首がポキと鳴って、そのあと突然激しく泣き始めた。

「うぎゃーーー」

尋常じゃない鳴き声に焦った自分、とりあえず抱えて家に帰り、湿布を張って様子を観ることにした。

泣き止んだ娘、夕食時も右手はだらんと下におろしたまま。左手でなんとか食べようとするが、ポロポロこぼれて食べられない。

「パパ、食べられないからたべさせて」とせがむ娘。

右手は腫れがあったり、変色が会ったりしているわけではないのだが、ちょっとでも動かそうものならすごく痛がる。

本当に申し訳ない気持で一杯だ。

さすがに明日までによくならなければ朝一で医者に行かなくては。。。

つづく