前回からの続きになるが、
なぜ新たな視点を手に入れる必要があるのか?そして海外主夫がそのきっかけとなるのか?に答えたい。
- 今後の人生は直線的でない。
- 自分が弱者になるときが来る。
この2点に尽きると思う。
まず、日本の社会はこの20年で崩壊すると多くの論者が主張しているし、私もそれを信じている。人口減は5年10年のトレンドで回復することはない、一方出ていくお金は増える一方である。夕張市のような日本国自体が赤字自治体となり、年金、健康保険等の社会保障は縮小に向かい、多くの弱者を切り捨てるような社会に向かわなければならないことが容易に想定できる。
デービッド・アトキンソンの著書「新生産性立国論」では、日本の生産年齢人口は2060年まで3263万5000人も減少し、一方高齢者は3464万人となり、現状の社会保障制度を維持するためには働く人達1.3人で1人の老人を支える社会(現在は2.3人で1人)となる。そのために生産年齢人口を全て移民で増やそうとすると、5人に2人が移民となる国になると語っている。これはBrexitで大騒ぎの英国どころではない。これは我々世代は老後、自害して人口を減らさなければ国が滅ぶ勢いである。
自分がいた英国は、日本と同じく国民皆保険制度があるが、財政難の為医療サービスがどんどん切り詰められた結果、風邪を引いてもアポは2,3週間後、しかも風邪程度では薬を処方してもらえない社会である。すぐ医者に診てもらいたければ、高額なお金を出してプライベートの医療保険に入り、医者へのファストパスを手に入れなくてはならないのである。別にそうしたいわけではない、国家の首が回らないからそういう結果になる。そういった意味では、欧州のほうが課題解決先進国であり、日本は課題先延ばし先進国としか見えないのである。
この先20年後、自分は年を取り、社会的弱者へと成り果てる。それまでに自分を自分の力で身を守るだけの人間になれるのだろうか。今勤めている会社を定年になっても、引っ張りだこの人材になれるのか、そして家庭に入ったとしても、仕事で忙しいであろう子供達に迷惑をかけず、自分で生活できるだけの家事スキルを持った人間でいられるのか。
大きな視点に立てば、この国が沈みつつあることが分かっているのに、国の社会保障に老後の身の全てを預けることがこれからの子供達の世代にとって幸せなことなのか。子供たちに明るい未来を!といいながら、いざとなれば、自分の世代さえ良ければいい、増税反対、弱者切り捨て反対、何でも反対の懐古主義、現状維持へ向かった政治活動、投票行動を行うことにならないだろうか。
我々が子供世代を思いやり、生き生きと人生を全うできるようなロールモデルを実現しなくては、この国は潰れる。
そのためには、自分自身の能力で勝負できるようなスキルや経験を身につけ、またそれを身につけるような学びの時間が必要だ。
例えば、日々の家事を逃げ場無く向き合い、一通りのことが出来るようになっただろうか?海外でピンからカネを稼ぐことができるほどのビジネス力があるだろうか?
それを手っ取り早く身につけられるのが、海外主夫生活だと思っている。
私は以下に挙げる3点において、個々人のパラダイムシフトが必要だと常に感じている。
- 自分のキャリアの可能性に対し、限りなくオープンであること。(今の会社を辞めても何が問題なのか)
- 常に新しい事を学び続けること(家事も一つ。学校にいくことだけが全てではない)
- ワークライフバランスを計算した上で、その実現の為、多少のリスクを取りに行くこと。
このパラダイムにおいて欧州の人たちは我々よりも何周もサーキットを先に進んでいると思う。
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