ナショナル・トラスト

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ビートルズの曲に Happiness is a warm gunという曲があって、中学生当時、あまりのカッコよさに身悶えしながら、何度も何度もカセットテープを巻き戻して聴いた、ホワイトアルバムの曲の一つだった(ちなみに身悶えしていたもう一つの曲はHelter Skelter)。その歌詞にNational Trustという単語があった。それがなぜか妙に耳に残るため記憶に残っていた。

ようやく30年近く経ち、初めてNational Trustが何なのか判った。

National Trustとは歴史的文化遺産や自然景観を保護する非営利団体、こちらの会員になることで同団体が管理するイギリス国内の施設や公園などに割引で入れるほか、駐車場料金も優遇を受けることが出来る。夫婦で年間105ポンド。後日会員権とガイドブックが送られてきた。施設によっては入場料が一人20ポンド程度かかったりするので、3回程度行けば元は取れる計算。

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民間の草の根運動を発祥としているので、政府や地方自治体でカバーできないような小さな古民家から、景観の素晴らしい地域まで市民の視点で保護を進めていることが素晴らしい。

写真はそのナショナル・トラストが管理する、国内でも有数のブルーベルの群生地、Ashridge Estate。ロンドンから車で1時間半程度で気軽に行けるのが良い。

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パリでカメラ盗られた その2/2

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これまでのあらすじ
父に花の都パリを一目見せたいと、ロンドンから鉄道で一泊二日の旅に出た。二日間という限られた中で可能な限り見どころを回るべく、初日から昼飯も盗らず歩きっぱなしの旅となった。

二日目は最終日、一つも取りこぼしがあってはならぬとばかり、昨日に続いて行軍は続く。

ホテルからまず向かったのがルーブル美術館。途中カフェで朝食をとるも、朝っぱらからまず2キロ歩いて到着。その後超特急でミロのビーナス、モナ・リザなどルーブル内の見どころを周り、昼はピラミッド駅の近くでフォーをすする。その後オペラ座まで歩き、そこからモンマルトルを目指す。途中ムーランルージュを見ながら丘を登り、丘の頂上サクレ・クールまで到着。丘に登るのはさすがにケーブルカーを使ったが。。

サクレ・クールのドームに登ろうとしたが親父はもはや膝が限界に来ており、自分だけ登ることにした。

サクレ・クールの螺旋階段を登りながら、大問題に直面することとなる。自分の鞄の中に入っていたはずのカメラがないのだ。肩掛けカバンを背中に向けていたので抜かれたのだ。

そこそこ高かったんだよ。キャノンのG16

思い返してもどこで盗られたか思い出せない。最後に写真を取った場所だけは覚えている。ルーブルの中のモナ・リザの前だ。

ものすごい人で常にごった返すモナ・リザ前、写真を取って、鞄のポケットにさっと入れたところを後ろから見られていた可能性は高い。

でなきゃ、オペラから乗った地下鉄の中か。
もしくはモンマルトルに登るケーブルカーか道中か。

でももう遅い。こんなこと振り返ったってこの国で盗まれたものが帰ってくるはずなど100%ない。

すっかり意気消沈。弾丸ツアー最後の目的地、ノートルダム寺院を残していたが、全くやる気がなくなってしまった。

最後の望みをかけて、ピラミッドのベトナム料理屋へ戻るが、結果は☓。

ショックなのはカメラの盗難それ自体というよりも、その中に入っていたSDカード。この中に昨日のパリの写真も入っているが、前週に行ったコッツウォルズで撮った写真が沢山入っていたのだ。

原因の一つとして、自分のセキュリティ認識が甘すぎた。イギリスは思いのほか安全・安心な国で、日本とほぼ同じ感覚で住めてしまう。だからこそフランスでは親父の行動は監視して、財布を不用意に道端で出さぬよう注意したりしていたのだが、自分が疎かになっていた。情けない。

その後とぼとぼとシテ島へ。頭のなかは葬送行進曲。曇りきった私の目を通してみるノートルダム寺院の姿はまるで今話題の知事が居座る東京都庁舎にしか見えない。

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こんなに後味のわるい旅も滅多にない。3部作の最後を飾るのに最適?最悪?なエンディングだ。3部作で不幸が止まれば、の話だが。

しかし70中盤の親父の足腰の強靭さには恐れ入る。当分健康で長生きできるのでは。これが唯一の良い話かも。

今月から働きます

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6月になったが、朝の気温は10度。まだダウンジャケットやコートが必要なくらいロンドンは寒い。迂闊にも風邪をこじらせてしまった。そんな相変わらずの天候の中、自分の状況は大きく変化.。今月から働きます。

この3ヶ月、仕事をなんとかこちら再開したいと悪戦苦闘を繰り返していたのだが、駐夫(帯同者)の壁は厚い。日系転職エージェントを通して応募した10件弱のポジションは全て面接すら進まず終了。

そもそも、給与額より時間のフレキシビリティを求め、帰国時期が妻(正確には妻の会社)次第という私は、一般的に年収の20%と言われるフィーをもらう彼らのビジネスモデルには 商材として合致していないのだ。企業がエージェントに支援を依頼する時点で、必要な人材は正社員、願わくば終身雇用という相手を探している訳で。思惑半ばで従業員が帰国してしまったら企業としてはエージェントに”金返せ!”となってもフシギではない。

やはりここは、現地の日本人経営者にお会いしていろいろ相談をさせていただき、ご支援いただいたり、彼らの細かいニーズを拾ったりしたほうが、より自分の希望に合致しやすい仕事内容やスタイルにたどり着けるような気がしてきた。

そのような中で、プロジェクトベースで数ヶ月、とある日系のIT企業のお仕事をいただくことになった。

勿論直接企業と条件等は話し合うが、期間も勤務形態もフレキシブルなので直接契約/雇用ではなく、派遣会社に登録し、派遣社員として勤務する。自分は子供の面倒を見なくてはならないので、週3日子供をナーサリーへ送迎し、その空き時間(9時〜5時)で仕事をして、残りの2日間は子供と一緒に過ごすというアプローチとなる。これであれば、企業側も労働者側もWin-Winとなりうる。

このような身勝手な願いを聞き入れ、声をかけていただいた社長には本当に感謝しか言葉が見つからない。

勿論子育て担当の主従は入れ替わるが、海外でも東京にいた時と変わらず、夫婦で日本と変わらず子育てと仕事の両方を実現させたい。その試みの最初の一歩が始まった。

海外赴任となると、昭和のパラダイムでは男性が海外で出世街道を進む中、女性が仕事を泣く泣く手放し、完全に家に入り、子作りや子育てに専念という形式が一般的。ただし、今後はどうであろうか、日本の人口が縮小し一億総活躍時代と呼ばれる時代、これからのビジネスにおいて”海外進出”×”女性の活躍”というキーワードは当然の帰結と予想される。

一般的に男性に比べ語学が好き/得意な女性は多い。結婚しても海外赴任する機会も多くなるであろう。その場合夫はどうするのか、帯同して家に籠るのか?でもそれでは昭和のパラダイムの中で性別が入れ替わっただけだ。子供も産めない分女性よりも分が悪い。

男性だからこそ、どんな国に放り出されてもたくましく自分の能力を発揮すべきではないのだろうか。海外で専業主夫として時を過ごすのは、帰国後の家族の生活リスクを高めてしまう。

それが私の渡英にあたってのテーマであり覚悟であった。仕事ができないなら帰ろう、しかし40歳過ぎとは言え、もしそうなったらそんな情けない自分でいいのかと。

ナーサリーで覚えた英語の歌を歌う娘を見て思う。子供は可能性の塊だと。でも自分も可能性を捨ててはいけない。幾つになっても。だ。

渡英半年経過後の生活展望

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八重桜の花びらがまるで絨毯のよう

渡英して半年が経過した。

ここロンドンで、地縁なく、人脈もなく、しかも子育てのリードをとらなくてはならない、この3つの制約のなかで、自分がどれだけ主体的に未来を切り開けるのだろうか。当初からの自問である。

少しずつではあるが、上記の答えが見えてきそうな予感がしている。

最近はロンドンで活躍される日本人経営者の方々にお会いする機会が増えている。

お会いする経営者は皆数々の苦労を乗り越えながら、十数年間このロンドンで力強く生きていきたかたばかりだ。そのような方々から、主夫として渡英した私や家族への理解と応援だけでなく、仕事面の支援までいただいている。

自分はこの異国の地では社会的ステイタスも収入額など守るものなどなにもない。全部日本に捨ててきてしまった。大切なのは子供の健やかな成長だけ。もはやゼロベースから再度人生・生活を構築するようなものだ。

立場や状況は違えど、経営者の方々もそのようなゼロベースの人間にかつての自分を重ねあわせ、手を差し伸べてくれているのかも知れない。

海外に来なければありえなかった素晴らしい出会い。ご縁を大切にしつつもっと駆け足で進まねば!

コッツウォルズで車がパンク その2/2

これまでのあらすじ:
日本から遊びに来た両親を連れてコッツウォルズ地方へドライブの旅へ。最終日の朝、路肩に乗り上げた車の助手席側の前輪がパンク。ピンチに陥る。

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スペアタイアはどこだ?
困った。家族と荷物を満載でパンク。しかも問題は民家があるとはいえ国立公園内のど田舎。観光では人里離れたのんびりした景色はウェルカムだが、一転、他人のヘルプが必要になるような状況に陥るとこの景色は地獄絵図に変わる。

と言っても最初は意外と冷静だった。なぜなら、スペアタイアをつければ近くの街のガソリンスタンドで交換できるのではと考えたからだ。

ところが、トランクの底を開いてみて衝撃が走る。

スペアタイアがついていない。この車。
スペアタイアがあるはずのくぼみには、スプレー式の修理剤ぽいものが付いているだけ。

車の中は幸い2歳の娘はすやすや寝ているが、母親はひどい風邪を引いており、寒さに震えている。

とりあえず車のリース会社に連絡、AAに連絡してヘルプを依頼せよとの指示をもらう。AAというのはAutomobile Associationの略、要はJAFみたいなもの。こちらを呼び出して1時間半後に到着するとのこと。

案の定イギリス、30分遅れると連絡が入り2時間待ちの羽目に。脇道への入口を塞ぐように車を停めてしまったので、その間脇道に入る車に迂回してもらうようひたすら謝りまくる。中にはこちらが困っているのを説明してるのにも関わらず、どけ!コラ!ばりにクラクションとパッシングと文句を言いまくる居丈高な野郎がいて本当に頭にくる。

そしてAA降臨!
電話をかけて2時間、ようやく救世主AAの黄色い車がやってきた。そして人の良さそうなおじさんが降りて来た。

AA

早速スペアタイアに交換してもらう。その後近くの(といっても10マイル先の)Eveshamという街のタイヤ屋さんに案内してもらい、事なきを得た。

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しかし、昼飯も子供に食べさせることが出来ず、時間は既に午後1時を過ぎている。本来午後はさっさとロンドンに帰る予定だったので予定が完全に狂った。

しかしこの不吉な空気をどうにかしたく、気を取り直し、再びコッツウォルズへ戻り、最後にHidcote Manor Gardenという庭園へ。

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綺麗な庭園もさることながら、庭園の外に広がる牧草地ではのどかに草を喰む羊が間近に見れた。彼らボケーっと見て今日の心のキズを癒やしたのだった。

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そして、この翌週の旅でさらに不幸が訪れる。

つづく。